2004/05/16

わたしの喜びが満ちる

ヨハネによる福音書第15章11-17節

truben.gif先週の礼拝で果物のなる木のお話を聞きましたね-みかん? りんご? それとも…
ぶどう! そうでしたね。今日はその続きです。イエス様はよく、たとえでお話になりましたが、今日はぶどうの木のたとえ話の中身を考えてみましょう。一つはイエス様はわたしにつながっていなさいと言われているけれど一体どのようにつながればいいの?
 目の前にイエス様がおいでになれば手をつないでくださいとお願いすることも出来るけれど、いないよねー。
 この答えは教会の礼拝に出席して、イエス様のことばや聖書のことばを聞いたり、お祈りをすることです。こういうチャンスは誰にでも与えられているけれど、世の中のすべての人が礼拝に出席しているという訳ではありません。その理由は16節にあるようにイエス様の選びによるということです。今日、礼拝に出席している人はみんな選ばれて、イエス様につながっていると言うこと。これはすごいことです。くじ引きで大当たりしたようなものなんですよ!
 二つめのイエス様の喜びに満たされると書いてありますが、これは一体どんなことなんでしょうね?
 その答えは、イエス様の喜び…すなわち天の神様はと一つである幸い、イエス様、が天の父と家族である喜びが私たちにも満たされると言うことです。これは私たちも神様の家族の一人として迎えていただけるということです。天の神様を父として、イエス様を中心に、世界の教会に連なっているたくさんの兄さん、姉さん、弟、妹、おじさん、おばさんが大きな神様の家族として仲良く愛し合えるという喜びです。
(北岡邦廣:5月16日教会学校礼拝説教より)

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