ケルンの町と3人の博士(クリスマス特集)
ドイツのケルンと言えば、大聖堂と答える人が多いのではないでしょうか。実際ドイツ鉄道のケルン
中央駅を降り立つと、ドイツの町ではめずらしく駅の目の前、左手すぐ奥にその大聖堂がそびえています。正式名称ザンクト・ペーター・ウント・マリア教会(聖ペテロとマリア教会)ですが、ドイツでもケルナー・ドム、ケルン大聖堂で通っています。
ケルン大聖堂
その歴史はローマ時代にまでさかのぼります。かつてはローマの神殿であったのが、ローマ帝国のキリスト教化によって、キリスト教会に改められ、後にアルテ・ドム、旧大聖堂となります。現在の建物の建築は1248年からはじめられ、本来の建築計画が完成したのは1842年から1880年といいますから、600年以上に及ぶ大建築だったのです。ケルン大聖堂はドイツ最大のゴシック様式教会で、1996年にユネスコ世界遺産に指定されました。内部はキリスト教美術の宝庫ですが、ヨーロッパ最古の彫刻のひとつとされるゲロー・クロイツや、特にハイリゲ・ドライ・ケーニゲ・シュラインが有名です。この金色の美しい箱には、お生まれになったばかりの主イエスを訪れた、3人の王様の遺骨がおさめられていると伝えられているのです。
その遺骨は皇帝ヘレナによってパレスチナからコンスタンチノープルへともたらされ、4世紀の終わりに、その子、コンスタンチン1世によりミラノへ贈られました。それが再発見されるのはようやく1158年になってからのことで、納められた遺骨についての記述があるのです。その外見はまったく損なわれておらず、15歳、30歳、そして60歳くらいの3人の男性の遺骨であると言うのです。1162年、ドイツ皇帝バルバロッサはミラノに攻め込み、1164年には自分の国の宰相でもある、ケルン大司教ラインハルト・フォン・ダッセルへの贈り物として、ケルンへこの遺骨をもたらしたのです。以後ケルンの町は巡礼地として有名になります。ケルンの町の紋章の上部には三つの王冠が記されているゆえんです。
大聖堂内部。奥のガラスケースの中にハイリゲ・ドライケーニゲ・シュラインがある。
3王とはいったい何者だったのでしょうか。マタイによる福音書は「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」と記すのみで、人数も、また王様についても言っていません。その人数が3人となったのは、黄金、乳香、没薬という贈り物の数から来ていると言われますが、それがさらにカスパール、メルキオール、バルタザールの3王となったのは6世紀になってからだと言います。彼らはペルシャの占星術学者であったとも言いますし、あるいはシリアの祭司たちであったとも言われます。何よりもケルンの遺骨と共にあった布が、2000年前のシリアのパルミラという町の墓地で見つかった布地と一致したというのです。祭司たちにとって、世界で新しい王の誕生というのは興味ある問題でした。パルミラの町のそばには山があり、ここで天体観測が行われ、エルサレムへらくだで駆けつけたとしても、何も矛盾しないというのです。いずれにせよケルンの町が伝える3王の物語とはずいぶん違うのです。
毎年1月6日は顕現日と呼ばれ、国によっては祝日になっていますが、この日に3王が主イエスのもとを訪問したとされています。ドイツでは毎年この日になると、カトリック教会の子供達が3王に扮して家々を回ります。星を掲げて歌を歌うことからシュテルンジンガー(星の歌い手たち)と呼ばれ王様の服装をし、王冠をかぶり、顔を黒く塗る子はアラビアの王様の役目です。募金活動でもあるのですが、家々では子供達に果物やお菓子のプレゼントを用意して待っています。彼らは最後に家の門柱に「20C+M+B06」とチョークで書いて帰って行きますが、それは、カスパール、メルキオール、バルタザールという3人の王様の頭文字であり、またChristus Mansionem Benedicat(クリストス・マンジオーネム・ベネディカート)というラテン語の言葉で、2006年の年に主キリストがこの家を祝福しますようにという意味なのです。
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