神に栄光、地に平和
ルカによる福音書第2章8-21節
静かな夜 聖なる夜!以前にもお話ししました。わたしたちの主イエスがお生まれになった夜のことを。日中はにぎわっていた町の中で、ただひとつ眠らないでいるのはヨセフとマリア、ただ一組の夫婦だけでした。ヨセフとマリア、今、ふたりは家畜小屋の中にいます。そして生まれたばかりの赤ちゃん。わたしたちの主イエスは飼い葉桶に寝かされています。聖書にははっきりと、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と書いてあるのです。
しかしまた同じ、寝静まった町からは少し離れたところ、野において羊の番をしている人々がいたのです。おそらく夜の間、羊たちと過ごす場所があったのだろうと思われます。交替ごうたいで起きては、外敵から、あるいは羊を傷つける獣から、羊たちを守るのです。
では、どうして羊飼いたちに最初にイエス様が生まれたことが告げられたのでしょうか。それは羊飼いたちが、もっとも貧しい、町の人々からもうとまれている人たちであったから、神様はこの人たちを、羊飼いたちを選んだのだと説明する人がいますが、わたしはそうではないと思います。またイエス様の祖先であるとされるダビデ王が、また羊飼いであったからだとも言われます。わたしにはむしろそちらの方が正しく思えるのです。
しかしいずれにせよ、羊飼いたちは野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていたのです。何か特別なことをしていたわけではありません。何かだいそれたことを望んでいた人々でもなければ、何か、神様にとって特別な人々ではなかったろうと思います。
ただ静かな夜、暗い夜、寂しい夜に、いつものように、毎晩のように、静かに仲間たちと羊の番をしていたのです。羊飼いたちが何を思っていたかはわかりません。寝ずの番をするという、日々の仕事のことを思っていたかも知れません。あるいは家族のこと、日々の生活のことを思いやっていたかも知れません。しかしそこに突然光が差したと言います。主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたと言うのです。ほんの今さっきまで、いつもの夜、暗闇であった、しかしそこに目をくらませるような光が照らしたのです。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 (ルカによる福音書第2章9節)
羊飼い達は非常に恐れたと言うのです。もともとのギリシャ語では、羊飼いたちは「大きな恐れをもって恐れた」と書いてあります。なぜ恐れるのでしょうか。なぜ恐がるのでしょうか。いや実際恐いと思います。
自分たちのふつうの生活。いつもの生活に、突然、神様の知らせが飛び込んできたのですから、恐くて当たり前だと思うのです。
主の栄光が周りを照らしたので、人間が恐れる。それはなぜでしょうか。すべてを照らすからだと言われます。わたしたちのすべてが明らかになってしまう。良いところも、悪いところも照らし出されてしまう。
人間にはいろいろな部分があると思うのです。人の前に出して、もっと見て欲しい。もっと理解して欲しい。もっとほめて欲しい部分。そして放っておいて欲しい部分もあります。見られてしまうんだからしょうがない。でも他の人には触れないでいて欲しい。そうっとしておいて欲しい部分。
そしてまた決して人には見られたくない部分もあるはずです。自分のものだとは思いたくない、そんな部分です。
しかし神様の光を受けてしまえば、それらすべてが、神様の前に明らかになってしまう。恐れるしかない。恐くてあたりまえです。しかし天使は何と言ったでしょうか。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。(同10節)
いつもの生活の中で過ごしていた羊飼いたちに、突然神様からの光が差し込んだ。
羊飼いたちは「大きな恐れをもって恐れた。」そして天使は同じ言葉で言うのです。「恐れるな!」そして続けます。わたしは「大きな喜び」を告げる。もともとのギリシャ語ではわたしは「大きな喜びを、喜びのおとずれをもって告げる」と書いてあります。まわりくどい言い方でしょうか。
神の栄光が輝く時、人間の側では、大きな恐れに、恐れるしかない。しかし神様が天使を通して告げるのは、「恐れるな!」のひとことである。そして神様がわたしたちにもたらすのは、「大きな喜びの喜び!」
どんなためらいも、どんなとまどいも、どんなさびしさも、どんな悲しみも、どんな恐れも、どんな恐怖も、たとえ死の恐れも、たとえ死そのものに対しても、喜びがある。
神様が、今、この時、クリスマスの中に告げるのは、「恐れるな!わたしは大いなる喜びを、喜びの言葉をもって告げる」というお言葉なのです。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
(同11-14節)
今日ダビデの町、ベツレヘムに、わたしたちの救い主がお生まれになったこと、これこそがどんなとまどいも、悲しさも、恐れをも吹き飛ばす、大いなる、大いなる喜びであると言うのです。天使の歌が響きます。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
平和とはただ争いがないというだけではありません。わたしたちの考えも及ばないような、平安、静けさ、穏やかさ。
わたしたちの心を騒がすようなものがないことです。たとえどんなことがあろうともわたしたちはぐらつくことがない。それはわたしたちがひとりではないからです。
主イエスはわたしたちのそばにおられるのです。羊飼い達が見た救い主は小さな赤ちゃんだった。もっとも小さいところから、もっとも低いところから、わたしたちを支えて下さる方、そのお方が今日お生まれになったとの天使の歌声なのです。
(楠原博行:2005年12月24日クリスマス燭火礼拝説教より)
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